範囲を自己に限定しない限り、世間の時間に対する評価は過大といわざるをえない。言葉が発生したとき、自己の内容を次世代に受け継ぐことができるようになったとき、自己の終焉が自己のうちにあるものの終焉と同義ではなくなったからだ。ゆえに時間に対する評価は常に利己性を内包する。そして人類全体を鑑みて行動を起こすなら、必要なことは病の根絶でも世界の平和でもなく、第一に言語の統一である。もはや次世代に伝達するべきことが見るだけで理解できることではなくなったとき、言葉は火よりも重要視されるべき発明品となる。