タペストリーとこなたよりかなたまで

 この2つの作品は、扱っているテーマと状況が非常によく似ているし、主人公の最初のスタンスも殆ど同じなので、ほぼ同一視されて、結果的に後に出たタペストリーが軽んじられている。でも私が思うに、この作品のテーマは似ているようで実はちょっと違うのだ。
 こなたよりかなたまでタペストリーの最大の違いはクリスの存在だと思う。タペストリーは病名が架空のものであること以外は、徹頭徹尾誰にでも訪れうる状況であるのに対し、クリスの存在は確実に起こりえない。
 この違いが最もよく現れているのがTrueエンドの存在だと思う。タペストリーは主人公がどのエンドでも必ず死ぬ。茅野ルートはどうなったのかが不明だけど、ここではあまり大きな問題じゃない。というか茅野ルートだけは何が起こったのか全く不明だし。それに対してこなたよりかなたまでは、主人公とクリスがエンゲージを結んで共に生きていく。
 クリスの存在によって、こなたよりかなたまでに於いては生と死が巧に相対化されているといってよい。うたい文句にもあるように、「相反する二つの性質を持つ二人が、一時より添って歩む」のだ。だから、彼方は常に生きることと死ぬことを考えている。人生の意味を重視していると言い換えてもよい。
 大してタペストリーは、主人公の中に死という属性がこびりついている。だから主人公は生きることと死ぬことよりも、自分よりも長く行き続ける相手役のことを考える。これはクリスルート以外のこなたよりかなたまで、特に香苗ルートでは同じだ。このことが顕著に現れているのが、病気を聞かされたときの、ひかりのはじめに対する愚痴だと思う。
 この違いは、結構大きい。こなたよりかなたまでが劇場型だとすると、タペストリーはドキュメント風だといえる。そういう風に見ると、なかなかタペストリーもユニークな点があるのだ。