俺が高専で学んだことは、内定などの「努力して得た結果」に意味はあるけれど、高専に合格とかの「努力して得た資格」は、よほどそのジャンルが好きじゃない限り全く意味がないということだ。
前者はそれだけで完結している。特に就職活動の場合は、努力したかどうか、つまりそのボーダーラインにデフォルトのままで立てたかどうかは、あまりその後の生活に関係がない。逆に言うと、努力せずに入った会社でも、努力して入った会社と同じかそれ以上に辛くてしんどい。
一方、後者は持続する。つまり「努力しなければ立てなかったボーダーラインに居続けること」を要求される。学校に入ると常に努力し続けなくちゃいけなくて、入学試験時に努力をしていればしているほど、とても辛くて、持続は不可能に近い。逆に、努力せずに入った学校はきっと楽チン。


何が言いたいかと言うと、気張るタイミングはちゃんと選ばないといけないよねってこと。
そして大学の先生になることをあきらめちゃって公務員になろうかなーと思ってる俺は、もう東大院じゃなくてもいいかもなーと思っていたりするということ。
今頑張って東大院に入っても、入ってからしんどいわ公務員試験の勉強する時間無いわで逆効果じゃね?とか。まあそもそも頑張って入れるかどうかも分からんくらい高いハードルなんですけど。


眠れないとダウン系な考えに陥ってしまう現象に名前をつけるべき。