ところで制御無理なんだけど

将来なんてサイコロできめてもいいんだよ。
今のジブンなんて10年後には誤差にもならない。10年前何になりたかった?それに気楽になれると思ってた?そんなことはないだろう。小学生を馬鹿にしちゃいけない。困難だって分かってた。それでもなりたいって思ってた。そのときなりたかったものが、今のジブンのビジョンにいったいどれ程の影響がある?無知や認識の狭さでは表せない無関係さがそこにはある。誤差にもなってないだろう?
重要なのはなんだろう。何になるか、ではなく何をするか。だったら何になっても一緒だ。何をするか、なんて突き詰めて思考しなくちゃ見出せない。何もしない、というポピュラーな結論を出すにしても同じだ。重要なのは今いる座標でなにをするか。それとも何もしないのか。どちらを選んでも、数学でよくある「無限時間たったあとの定常状態」では同じなのだけれど。
生きることは過渡期だ。あまり意味はない。本来なら重要視されない。だからこそ人間には歴史という概念がある。いきるという無意味さに対する、稚拙で細やかな抵抗だ。だから俺は歴史が好き。数学はあまりに冷徹だ。
割りきれる人間を大人という。割りきれない人間は社会不適合者だ。