頭がおかしいのかな俺は。

死後の世界の有無の証明は割と簡単に出来ても三途の川の有無の証明はちょっとだけ難しい。
死後の世界の証明は簡単だ。
この世に生きている人間全てをぶち殺せば良い。
だが三途の川の証明は困難を極める。
証明とは多分、全ての人間に「それがそうである」ことを示せるということだろうと俺は思う。もしくは証明される人間にいつでも「これがそうである」と示せることであろう。定義が違っていたらこの話は全然無意味になるかもしれない。俺はそんな細かい定義に用は無い。お風呂で浮かんだこの妄想を日記に書くことに意味があるのだから。
さて、次に三途の川の定義であるが、コレは色々定義があって困った。
1.地獄へ行くために渡らなければならないもの。
2.死後の世界に行くために渡らなければならないもの。
今ちょっと調べてみただけでも2つある。多分もっとある。だってあるか無いか分からないんだもんね。
燈杏世界では三途の川は「死後の世界にいくためにわたらねばならないもの」であるので、全ての燈杏世界でのお話はこれに準じます★ミ
さぁ、三途の川の有無を証明してみよう。
もう1度この世に生きている全員をぶち殺せば良いのだが、此処で一寸困ったことが起きる。
無かったときはいいんだ、無かった時は。ぶち殺した人間がホモサピエンスを滅ぼしました、はい。それだけだ。
だが有った時はちょっと具合悪い。
三途の川を渡っているときは良いんだ。「おーあるあるwwwwwwww」ってなるんだから。あることは証明できる。
問題は大部分の人数、または証明される人間が三途の世界の向こう側に渡りきったときである。
其処を仮に霊界と呼ぶとしよう。もしかしたら霊界から三途の川を見ることが出来るかもしれないけれど、出来なかったら困ったことになる。
「あった事は分かる。だが今あるかどうかが分からん」のだ。
それを知るには生き返るしかない。そしてもう1度死ぬしかない。
だが今のところ生き返った人とかいないから、多分死んでしまったらもう「今三途の川があるかどうか」が分からないのだ。
そこでまた生きている頃と同様に三途の川があるかどうかが分からなくなる。
霊界にやってきた人に「三途の川渡ってきた?wwwww」「きたきたwwwwwwwwww」みたいな会話をすることでしか。