障害という言葉はとても難しいと思う。
言葉が難しいというよりも、「お前は障害者だ」と認定することに難しさがあるよね。


例えば、アスペルガー障害というものがある。アスペルガー症候群ともいうらしい。
この障害については俺は良く知らないので、はてなの解説機能を参照してくれたまえ。
この障害にかかった人?…表現方法が良く分からないが、アスペルガー障害である人の講演がどこかでいつか行われた。
聞くところによると、この人は昔から他人の気持ちが分からなかったり、それが原因でいじめられたりしたらしい。んで、大学生の時にアスペルガー障害と診断された、と。
何か症状が、自己中な人間の行動と良く似ていないだろうか。


俺がコレを聞いたとき、「この人はただの自己中とどこが違うのだろう」と思った。
いや、勘違いしないで欲しいのだが、「俺の様な自己中と、この人の違いがわからない」のではない。確かに分からないのだが、多分専門家にはこの違いが明確(?)に分かるのだろう。
此処で問題なのは、「アルペルガー障害と自己中の違いがあるかどうか」ではなく、「アルペルガー障害と自己中の違いが『教育の場に立つ人間に分かるのかどうか』」である。


答えは簡単で、わかるわけない。



だから先生は「こいつ自己中やし」みたいなレッテル貼るし、同級生は「あいつ自己中でむかつくし」みたいな評価をその人にするのである。
そんな評価はアスペルガー障害の人間をなんていうか、追い詰めると思う。
でも、教育の場に要る人間には違いが分からない。
そんなとき、教師の選択肢は3つである。


〓自己中な人間全てをアルペルガー障害かどうか検査(診断)する。
〓放置する。


殆どの教師が〓を選択しているわけであり、〓は現状では論外である。「アスペルガー障害かどうかの検査をされた」というその事実、過去があるだけで世間の目は冷たくなる。世間はそんなもんだ。
此処で〓の選択肢が出てくる。


〓全ての人間をアスペルガー障害かどうかの検査にかける。


そうすれば、全ての人間が検査されたわけだから、〓の時のような弊害はない。でも現実的じゃないよね。自分の子供がそういう検査されるってだけでキれる親もいるだろうし。
そんな訳で
アスペルガー障害というものをなくしてしまう。
つまり病気である、という認識そのものをなくせばいいわけだ。
でもコレも難しいよね、自己中は治るけどアスペルガー障害は治らないかも知れないんだから。「一生自己中である」というのと同じ目で見られるのは困るでしょう。



で、結局一番良いのは多分「世間がアスペルガー障害の検査を受けたくらいでは冷たい目でその人をみたりしない」事なんだろうけどね。何か普通の結論すぎてつまらんな。




アスペルガー障害の人を冷たい目で見たりしないっていうのが一番いいんだろうけどね。