今日はテストだった。
その間に考えていたものを書いてみよう。


諸君はひとつだけなんでも願いが叶うなら何を願うだろうか。
巨額の富?幸せな人生?それとも不老不死?


俺は「一生遊んで楽しく暮らしたい」である。
こんな事言うと「一生遊んで楽しく暮らせるだけの金が欲しい」に聞こえるかも知れないが、それは違う。良く考えて欲しい。諸君らにとって一番楽しい時間はいつだったろうか。特に社会人の人。
俺はある人に、「人生で一番楽しいのは高校生の時だ。」と聞いた。恋愛、バイト、部活等、いろんなことが出来る充実した時間。それが高校、そしておそらく大学生。
敢えて小学校、中学校時代も入れてみよう。純粋に楽しさだけで言うなら保育園時代も捨てがたい。人によっては無いかもしれないし、幼稚園時代かも知れないが。つまり、可能な限り人生を楽しく暮らすには、幼稚園〓大学生がベストという事になる。若しかしたら、社会人の人の中には仕事が充実していて「今の生活が一番いいぜ」って言う人も要るかも知れない。だがこれは俺の願いであり、そして恐らく俺の社会での人生はそんな良くないと予想される。悲しいことだ。


よって人生を楽しく遊んで暮らすには、幼稚園〓大学生時代を繰り返せばいい、つまるところ転生し続ければいいということになる。もちろん記憶を持ったまま。勉強だってバリバリできるので全然苦にならない。素晴しいではないか。
しかしコレにはいくつか問題点がある。例えば、今の家族とか恋人とか友達を覚えたまま次の人生を歩むと、家族になじめなかったり恋人を忘れられなくなったりするだろう。身近な例で言うと、エロゲをした後すぐにまた別のエロゲをすると前のエロゲのヒロインが忘れられなくなるのと同じである。因みに俺は魔女っ娘ア・ラ・モードをやった後に君望をやってしまったために全く面白くなくてすぐにやめてしまった覚えがある。エレーネの事が忘れられなかったのだ。記憶を持ったまま転生すると恐らくこのようなことが現実世界で起きてしまうだろう。そう考えると恐ろしい。対人関係はリセットして転生するのがベストだろうか。何か寂しい気もするが仕方ない。


他にも問題点は無いだろうか。
例えば、言語の問題。同じ日本に生まれるとしても、関西弁とか九州弁とか、色々ある。前の記憶を引きずったままだとこれらの言語でやり取りする時に苦労するだろう。
やはり記憶の部分がネックになってくる。何処をどれだけ残すのか。「全ての記憶を知識として、自我の目覚めと共に思春期に少しずつ思い出させる」という案も考えたのだが、それだと「過去に転生輪廻を繰り返したという記憶はあるが、今はそうは思わないので普通に死ぬ」という考えに至ってしまう可能性がある。それはつまり人生に満足できたという事なのだろうが、俺の願いは人生に満足することではなく一生楽しく遊んで暮らすことである。これはだめだ。やはりある程度今の自我が残っていないといけない。


後は死ぬタイミングも問題だ。幼稚園〓大学生が一番楽しいにしても、大学が終わって直ぐ死ぬのはやはり後悔すると思われる。現に今の俺も高専を出てからの人生に少しだけ期待を持っているし、就職活動とかもするであろうから「会社が内定しているのに死ぬ」というのはなんともやるせない。死ぬタイミングを自分で選ぶにしても、「今すぐ死んでいいぜ」なんて思うような破滅的な人生は送りたくない。難しいところである。



とまぁ、テスト中に考えるようなことではない絵空話。